🎉 サン・ジョアン祭で体験したポルトガルの夏の魔法

🌙 祭りの夜、始まりは紙風船から
夜9時頃、空に最初の**紙風船(balão de São João)**がふわりと上がった。ゆっくりと夜空に舞い上がるその光景は、まるで願いを空に放つようでとても幻想的だった。

🔨 ピコピコハンマーで通じ合う言語なき交流
ピコピコハンマーを持っていると、それは「叩いてOK!」のサインになる。地元の人と言葉が通じなくても笑顔とハンマーで交流が生まれるのがこの祭りの魔法の一つ。ポルトガル語が話せなくても、叩き合いながら自然と仲良くなれるのが嬉しい。
🇵🇹 平等の象徴、ピコピコハンマー
ポルトガル人のおじさんがこう語ってくれた:
「このお祭りでは、貧富の差も格差もない。みんなが平等。その象徴がピコピコハンマーなんだよ」
この言葉がとても印象に残った。ハンマーで叩き合うことで、誰とでもフラットに関われる。**まさに“民主的なお祭り”**という感じ。
🍻 ビールとハンマーで現地気分、ポルトガル人気分
ビールを片手にハンマーを手にすれば、完全に現地のポルトガル人になった気分。地元の人しかいないエリアに招待されて、より深い交流も体験できた。リスボンなどの観光客エリアとは違う、**本当のポルトガルの“地元の熱”**を感じた。
🐟 イワシと伝統料理の味わい体験

地元の人に教えてもらったイワシの美味しい屋台で、以下のような料理をいただいた:
炭火焼きイワシ(Sardinha assada)
- 塩がしっかり効いた香ばしい一品。
- ポルトガルでは内臓を抜かずに焼くのが伝統。
- 理由:身が乾かないようにするため。
- お母さんは内臓が苦手だったけど、焼き方の意味を知って納得。
- メスのイワシに当たり、卵が入っていた!
ジャガイモとキャベツのスープ(おそらくCaldo Verde)
- ジャガイモ、キャベツ(ケール系)、チョリソン入り。
- シンプルだけど深い味。パンと一緒に食べてホッとする。
- 「ああ、これはまさに**“ポルトガルの家庭の味”**」と実感。
🍪 屋台の食文化:肉サンド&生地もの
祭りの屋台では、肉系のサンドイッチ(BifanaやPrego)がたくさん。
一方でスイーツ系はクッキーや生地ものが多く、「これって文化的に何か意味があるのかも?」と気になった。後で調べてみたいポイント。
🎇 花火と「ポルト!」の叫び



深夜、あちこちで同時多発的に花火が打ち上がる。
それがとても綺麗で、一斉に“ポルト!”と叫ぶ地元の人たちの声が響く。
ポルトへの誇り、連帯感、感情の爆発。
他の国ではなかなか見られない、町全体が感情で震える瞬間だった。
🧄 ピコピコハンマーの原型はニンニクの茎?
昔はハンマーの代わりに**ニンニクの茎(alho-porro)**で人の頭を軽く叩いていたそう。
- 魔除けの意味もある?
- ニンニク=健康・浄化の象徴として扱われることもあり、祭りのルーツを感じさせるディテール。
✍️ まとめ
この体験は「サン・ジョアン祭はただの観光行事じゃない」と強く思わせてくれた。
“誰でも混ざれる文化”がここにはあった。
自分も、ポルトガルの空気に溶け込んだような気がした夜だった。
また来たい。この国がもっと好きになった。

✏️【後記】この記録は現地体験中にリアルタイムでメモしたもので、記憶が新しいうちにまとめました。
アジアンマーケットの探検日記🫐ポルトガルでの食材発見 📸

こんにちは、アイです。今回は画像をAIに送ってブログ記事を書いてもらいました
よし‼️ツッコミを入れていこうw
スタートです🫐
先日、ポルトガルでアジアンマーケットに行ってきました。現地に住んでいると、日本の調味料やお菓子、飲み物が恋しくなることがよくあるのですが、今回訪れたお店は想像以上の品ぞろえで、ちょっとした“探検”のようでした。
まず目に入ってきたのは、ずらりと並ぶ特大サイズの調味料たち。1.8リットルの「てりやきソース」や「かつおソース」、さらには「キムチの素」まで揃っていて圧巻です。ここは日本?と思ってしまうほどに日本語のラベルが並んでいて、でも値段を見ると「24.99ユーロ!?」と現実に引き戻されます。海外ならではの大容量&高価格。日本だと普通のサイズの小瓶で済むけれど、こちらでは業務用レベルの量が当たり前のように並んでいます。使い切れるのか不安だけど、なんだかワクワクする不思議な感覚です。

そして、その隣にはキユーピーマヨネーズ。しかも赤いネットに入った日本仕様!ポルトガルに住んでいてこれを見つけた時の安心感は大きいです。ちょっと高いけれど、背に腹は代えられない。
代えられないほどではないかな…。無茶すればいつでも帰ると思うと確かに安心するがそれでも買いたいとは今は思わないかなー。

次に驚いたのが、3kg入りの干ししいたけ。袋には「椎茸」と大きく漢字が書かれていて、その存在感は圧倒的です。使い切るには何ヶ月かかるんだろう…と思いつつも、日本の味噌汁や煮物を思い浮かべると、やっぱり欲しくなる。
大きさがやっぱ海外仕様なのか、業務用にはあまりお店の雰囲気として感じられなかったんだよね。もしかしたら、同じ商品をほかの形で別で売っているのかもしれない。

冷蔵コーナーに行くと、ありました、納豆!しかもパック入りでラベルも完全に日本のまま。値段は4.50ユーロと少々お高めだけど、「ある」ことが大事なんです。納豆が食べられる生活、それだけでだいぶストレスが和らぎます。
ストレスが和らぐほどではないぞw というか食べれないことでストレスを受けてないですw 確かに「ある」という事態はすごく嬉しいな

そのすぐ隣には冷凍餃子や枝豆もあって、日本の冷凍食品がしっかり揃っているのも嬉しいポイント。ポルトガルでは簡単に手に入らないので、見つけた時の喜びはひとしおです。

そしてドリンク棚では、ラムネやドクタースランプアラレちゃんの炭酸飲料、さらにはピッコロが描かれたジュースなど、懐かしさと驚きが入り混じったラインナップ。日本だけじゃなく、韓国や中国のドリンクも並んでいて、見ていて飽きません。日本人にとっては馴染みのあるキャラクターが描かれているのも、ちょっとした癒しになります。
こういう部分は確かに日本ファンとかアジア作品が好きなポルトガルの方に刺さっているのかなって思ってます。日本だと原宿とかそういうスポットで見れるものなのかな。あまり日常的なものには感じないなー

ラーメンコーナーはもはやテーマパークのよう。辛ラーメン、チャパゲティ、ブルダックなど韓国のインスタント麺が大量に積まれていて、カラフルで見ているだけで楽しい。日本のラーメンも少し混じっていましたが、ここは完全に韓国ラーメンの天下という感じでした。どれを試そうか迷ってしまうほどの品ぞろえ。
テーマパークか…確かに。韓国や日本だけでなく中国、インド系、インドネシア?ほかのアジア圏のラーメンもありました!

お菓子売り場にも立ち寄ると、スナック菓子やキャンディが所狭しと並んでいます。パッケージは中国語や韓国語、日本語が混在していて、「読める!」という小さな喜びがあったり、「これ何味!?」という驚きがあったり。お菓子一つで旅気分が味わえます。

味の素の大袋も発見。日本では小瓶のイメージですが、こちらでは500gの袋入り。タイ語のパッケージと並んで、異国文化との融合を感じました。

奥に進むと、和食器や鍋、蒸籠なども売っていて、まるで雑貨屋さんのよう。お椀やお皿は日本で使っていたものとそっくりのデザインで、懐かしさを感じます。ここなら一通りの和食生活は整えられるかもしれません。

改めて、アジアンマーケットって面白いなと思います。日本の商品だけじゃなく、韓国、中国、東南アジアの食材や調味料が揃っていて、見るだけでも楽しい。現地のスーパーではなかなか手に入らない食材がずらっと並んでいるこの空間は、まさに“食の宝箱”です。
今回の訪問で思ったのは、「高いけど、あるだけでうれしい」「懐かしいけど、ちょっと新しい」「異国だけど、なんだか落ち着く」そんな矛盾を抱えた場所。それが、ポルトガルのアジアンマーケットでした。
また定期的に覗きに行きたいと思います。次は何が見つかるか、楽しみです。
AIちゃんやるな!よきパートナーでございますw これからもこうやって遊びたいな
またよろしくお願いします~
アイでしたヾ(*ˊᗜˋ*)
カステラだけじゃない!日本のレトロお菓子に潜むポルトガル語のルーツ
こんにちは、アイです。🫐
前回の記事では、「コップ」や「カステラ」など、日本語の中に残るポルトガル語の言葉についてご紹介しました。思いがけず多くの方に読んでいただき、「実はポルトガル語だったんだ!」という反応がとても嬉しかったです。
さて今回はその続きとして、“昔ながらのお菓子”にフォーカスしてみたいと思います。金平糖やボーロ、カルメラなど、駄菓子屋や縁日でおなじみのあの甘いお菓子たち。じつは、これらにもポルトガルとの不思議なつながりがあるんです。
昔からあるお菓子の名前、その言葉のルーツを考えたことはありますか? 今日はそんな「甘くて懐かしい語源の旅」に、オリジナルキャラクターのスミネちゃんと一緒に出かけてみましょう!
ポルトガル語と日本語の意外な接点
「南蛮貿易」、中学校の歴史で一度は耳にしたことがあると思います。16世紀、ポルトガルの商人たちが日本に鉄砲やキリスト教、そしてさまざまな生活文化を伝えました。そのなかには、料理・衣類・建築様式だけでなく、言葉もたくさん含まれていました。
当時の人々が初めて見る外国のものに名前を尋ねると、相手はポルトガル語で答える。そんな日常の中で、たとえば「confeito(コンフェイト)」が「金平糖」に、「pão(パオン)」が「パン」に、「botão(ボタォン)」が「ボタン」に…というように、少しずつ日本語に溶け込んでいったのです。これは前回も触れましたよね。
今回はその中でも、いまも私たちの生活に残るレトロなお菓子の言葉を取り上げてみます。
1. ボーロ(bolo)
卵ボーロ、幼いころに食べた人も多いのではないでしょうか。小さくてまんまる、口に入れるとふわっと溶けるような食感が特徴のお菓子です。
「ボーロ」は、ポルトガル語で「bolo(ボロ)」=ケーキを意味します。見た目はまったく違いますが、日本ではこの「bolo」が“甘い焼き菓子”の総称として広まり、やがて卵を使った小さな焼き菓子に「卵ボーロ」という名前がつけられるようになりました。
日本独自の進化を遂げた、ポルトガル語由来の代表例といえるかもしれません。
2. 金平糖(confeito)
星型のかわいいお菓子「金平糖(こんぺいとう)」の語源は、ポルトガル語の「confeito(コンフェイト)」。
砂糖を何層にもかけて作るこのお菓子は、当時の日本ではとても珍しく、高級な贈り物として用いられていました。織田信長がポルトガルの宣教師から贈られた、という記録もあるほどです。
現在でも皇室の引き出物として使われるなど、長く日本文化に根付いている存在です。
(このお話は色々出てくる、私の好みとしてもう一度しっかり勉強してみてもいいのかもしれない。かわいくてキラキラ、ほんのり甘くて食感も好きなお菓子です。)
3. カルメラ(caramelo)
カルメラ焼き、という名前を聞くと、あの屋台の砂糖菓子を思い浮かべる方もいるかもしれません。あぶった砂糖に重曹を加え、ふわっと膨らませて冷やす、という駄菓子屋の定番です。
この「カルメラ」は、ポルトガル語の「caramelo(キャラメロ)」=キャラメルに由来します。
日本ではより素朴な“砂糖菓子”として親しまれ、縁日や屋台文化とともに独自のかたちに発展しました。
番外編:ドロップスやパン
前回紹介した「パン」や「コンペイトウ」以外にも、レトロなお菓子として「ドロップス」もポルトガル語由来といわれることがあります(英語の「drop」説もありますが)。
このように、古くから伝わった言葉が私たちの身近に残っているというのは、なんだか不思議で面白いですね。
おわりに
日本の昔ながらのお菓子に、異国の言葉が静かに混ざっている。
そんな発見があると、何気なく手に取った駄菓子にも、小さな物語を感じることができます。
言葉のなかに、味のなかに、そして文化のなかに…歴史がしっかりと生きている。
また、面白い単語やモノを見つけたら紹介していきたいと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
アイでした($・・)/~~~🫐
パン、カステラ、ベランダ…実は全部ポルトガル語!?
こんにちは、アイです。🫐
突然ですが、「コップ」「ベランダ」「金平糖」――これ、ぜんぶポルトガル語が語源って知っていましたか?
私は最近、ポルトガルに住んでいる中でふと「この言葉、日本語っぽくないな?」と感じたのがきっかけで、調べてみたら…想像以上に面白かったんです。
たとえば中学校で「南蛮貿易」と習った記憶、ありませんか?16世紀、ポルトガル人が鉄砲やキリスト教を日本に伝えたあの時代。実はそのとき、食べ物や道具だけでなく“言葉”も一緒にやってきたんです。
今日はそんな"ポルトガル語ルーツの日本語"を7つご紹介します!
1. コップ(coppo)
「コップ」はポルトガル語の「coppo」(ガラス製の容器)が語源。16世紀、日本に初めて持ち込まれたガラス製の飲料容器が珍重され、「coppo」が「コップ」へと変化したと言われています。ガラスがまだ高級品だった当時、西洋の香りが強く印象に残ったのでしょう。
2. ベランダ(varanda)
「ベランダ」はポルトガル語の「varanda」から来ています。意味は“屋根のある張り出し部分”や“バルコニー”のような場所。明治以降の西洋化の流れのなかで、日本建築に取り入れられ、言葉もそのまま根付いたのだとか。
3. 金平糖(confeito)
あのカラフルでかわいらしいお菓子「金平糖」は、ポルトガル語の「confeito(コンフェイト)」が語源。当時は珍しい砂糖菓子として日本に伝わり、長崎を中心に広まったそうです。現在も皇室の引き出物に用いられるなど、格式あるお菓子として知られています。
4. カステラ(pão de Castela)
「カステラ」は、ポルトガル語の「pão de Castela(カスティーリャのパン)」が由来。スペインのカスティーリャ地方から伝わったふわふわのスポンジケーキで、長崎を中心に定着し、日本独自の進化を遂げた和洋菓子となっています。
5. パン(pão)
「パン」も、ポルトガル語の「pão(パオン)」が語源です。仏教的に肉食を禁じていた時代の日本にとって、小麦から作るパンはまさに異国の食文化だったようです。いまや日常語となっているのが不思議なくらい。
6. ボタン(botão)
服の留め具として使われる「ボタン」も、ポルトガル語「botão」から。ヨーロッパの洋服文化と一緒に持ち込まれ、日本語にもスッと溶け込んだ単語のひとつです。
7. タバコ(tabaco)
嗜好品としての「タバコ」は、ポルトガル人が持ち込んだもののひとつ。語源もそのまま「tabaco」。当時の人々にとっては“煙を吸う”という行為自体が新鮮だったことでしょう。
ポルトガルの町を歩いていると本当に喫煙者って多いんですよね。年代も人種もすべてバラバラなのにみんな吸っている。何かコミュニティーのか社会的な地位の話なのかなとかも考えたのですが、みんな例にもれなく吸っている。なんでんだ?
妹の学校をいくつか候補として見学に行ったときに、校門の前で子供が吸っていることもありました。
これはこれで一個調べてみても面白いかもしれません。
ポルトガル語が日本語に入った背景って?
南蛮貿易の時代、ポルトガル人はキリスト教の布教とともに、さまざまな物品・文化・言葉を日本に持ち込みました。その結果、異国の言葉が日本語に取り込まれるという、言語の“ハイブリッド化”が自然に起こったのです。
おわりに:言葉に隠された“世界の記憶”
こうして見てみると、日常で何気なく使っている言葉にも、遠い国とのつながりがひそんでいます。歴史をたどると、ただの単語がぐっと面白く感じられるのが言葉の魅力ですね。
今後もこうした「ことばの旅」、続けていきたいと思っています!
読んでくださりありがとうございました。アイでしたー($・・)/~~~🫐
春の日のポルトガル散歩と小さな発見たち ~写真付き~

こんにちは、アイです🫐
今日は家族で近所のちょっとしたお出かけをしてきました。ポルトの春の陽気に誘われるように、のんびりと散歩し、古い路面電車に乗り、ドウロ川沿いの公園でゆったりとした時間を過ごしました。そのあとのランチもすごく美味しかったので、今回はその一日の思い出を、日記のように振り返りながらお届けしたいと思います。
■ 懐かしい雰囲気の電車に乗って
まずは、きれいな道を少し散歩してから、昔ながらの電車に乗りました。電線を使って走るこの路面電車は、内装が木造でどこか香水のような香りがする懐かしい空間。手動での運転や電球のあたたかな明かりが印象的で、まるでタイムスリップしたかのような体験でした。
電車に揺られながらドウロ川沿いへ向かうと、見えてきたのは、川と空が溶け合うような風景と、ちょっとした遊具がある小さな公園。ここでしばらくのんびり過ごすことにしました。


■ 彫刻と噴水、静かな春の公園
公園には小さな噴水があり、いくつかの美しい彫刻が点在していました。木々の新緑が風に揺れ、日陰では読書する人や、ピクニックを楽しむ家族の姿も。春の陽気と青空に包まれて、時間がゆっくりと流れているような、そんな感覚になりました。
途中、子ども用の簡易ゴルフコースを見つけて、家族でちょっとしたミニゲームに挑戦。プラスチックのボールを打つだけのシンプルな遊びですが、自然の中で過ごすことそのものが、何より贅沢に思えました。
■小さな展示施設で、昔の生活にふれる
彫刻を見たあと、公園の敷地内にあった小さな展示スペースにも立ち寄ってみました。そこには、昔ながらのトイレが再現されていて、壁にはきれいなセラミックの装飾が施されていました。
いわゆる「公衆便所」ではあるのですが、丁寧に保存された美しい空間で、つい足を止めてじっくり見てしまいました。そこでふと「昔は排泄物をどうしていたんだろう?すぐに川に流していたのか、それとも農業の肥料に使っていたのか……?」という疑問が湧き、こうした生活の一部からも歴史を感じられるのだなと実感しました。




■ 絶品サンドイッチとポルトガルの昼食
遊んだあとは、近くのサンドイッチ専門店へ。伝統的なメニューを扱っているものの、レストランのような落ち着いた空間で、三種類のメニューをいただきました。
-
ステーキ・ハム・チーズのサンドイッチ: 肉の旨味とチーズのコクが絶妙で、チーズはしっかりとした存在感があるのに重たくなく、脂っこさも抑えられていました。

- ハンバーガー: お肉のジューシーさとチーズの控えめな風味が絶妙で、食べ応えがありながらも食べ疲れない仕上がりでした。

-
ランプ肉とブラジルキャベツの炒め物のサンドイッチ: 野菜の歯応えとオリーブオイルの香りが心地よく、肉の旨味がしっかり引き立っていました。

どれもパンの種類が異なっていて、それぞれの具材にぴったり合うよう工夫されていたのも印象的でした。付け合わせには、小さなサラダと揚げたてのフライドポテト。熱々で出てきたのが嬉しく、とても満足感のある食事になりました。


サイズは少し小さめだったものの、お酒と一緒に楽しむことを前提にしているのかもしれません。軽食としても、おつまみとしても絶妙なバランスでした。
■ ドウロ川と空の色
再びゴルフに立ち寄り、ゆっくりと電車に乗って帰路へ。今日一日を振り返って思うのは、こんなに近くに、こんなに美しいものがあったんだという驚きと感謝でした。


ドウロ川の水は澄んでいて、透き通るような空とあいまって、まるで絵画のような景色でした。外の空気はすがすがしくて、春の匂いがしました。
ここポルトでは、歴史的な街並みと自然の景色が調和していて、ほんの少しの外出でも心がリセットされるような気がします。またこういう小さな旅をして、少しずつこの街をもっと好きになっていけたらいいなと思いました。
読んでくださって、ありがとうございました。
アイでした($・・)/~~~🫐
追伸
ちなみに、食事をしたお店にこんなお箸がおいてありました。

こういう日本意識だし、なんとなくそれっぽいんだけどどこかズレているもの見つけるの大好きですw
味(アジ)でもないんだねw 味わいだとしてもなんだそれってなりますしw
ポルトガルで経験した大規模停電と、街の人たちの姿

こんにちは、アイです。🫐
2025年4月28日、ポルトガル各地で大規模な停電が発生しました。
一部報道によると、スペインの発電所トラブルが原因とされ、ポルトガルでも広範囲にわたって電気、水道、通信が一時遮断されました。
現地に住む私も、この未曾有の事態を直に経験したので、今回はその様子を記録したいと思います。
すべてが止まったポルトガルの昼下がり
午前11時ごろ、いつものポルトガル語のオンラインレッスンを受けていた最中、突然インターネットが途切れました。
「いつものちょっとした通信トラブルかな」と最初は楽観的に考えていましたが、携帯の電波も消え、水道までもが出なくなり、事態の深刻さに気づきます。
「建物のトラブルだろう」と思って様子を見ていたのですが、2~3時間経っても復旧の気配はなく、
そのうち、小学生の妹が学校から早退して戻ってきました。
学校からの連絡によれば、「明日の授業も不明、現在は緊急対応中」とのこと。
この時点で、ただのローカルな問題ではなく、もっと大きな範囲で影響が出ているのだと肌で感じました。
信号も止まっており、町には止まった形態を見ながらきょろきょろしている人々。とりあえず声をかけて情報得ようとしているようでした。
ベランダから見えた街の様子と、人々の動き
外に出ずとも、ベランダから街の様子は一変しているのが見えました。
近くのスーパーには長い列ができ、手に食料品や水を抱えて帰る人々の姿。
私たちも備えのため、家族で買い出しに向かいました。
途中、印象的だったのは、混乱の中でも人々が冷静だったこと。
確かに店内の商品は乱れていましたが、怒声や争いは起きていませんでした。
みな並び、順番を守り、譲り合いながら買い物をしていました。
レストランやバーでは、電気が止まった中でも外のテラスでワインやビールを楽しむ人々も多く、
一種の「落ち着いたパニック」という不思議な空気感が流れていました。
スーパーでは、私たちはバーベキュー用のガスセットや、飲料水がナウなっていたので、代わりに炭酸水を購入。
電気がないため、電子レンジやIHクッキングヒーターも使えず、火を使った調理手段の確保が急務でした。









復旧、そして胸に刻まれた思い
夜8時~9時ごろ、突然街に明かりが戻りました。
急に家の電子機器ピーピー音を出し、信号の大気のボタンが付き、お店などの灯りが復活。信号自体も戻り、街灯がついて徐々に日常が戻ってくるようでした。
水道も復旧し、Wi-Fiや携帯回線も順に回復。
街全体が安堵とともに再び動き始めた瞬間でした。
今回の停電中、噂では「ロシアからのサイバー攻撃ではないか」「復旧に数日かかるかもしれない」とも言われていました。
実際にはスペインの発電所トラブルだったとの報道なのですが、情報がない中での不安感は大きなものでした。
人々がインターネットに頼らず、歩きながら「何があったんだ?」とお互いに尋ね合う姿を見て、
改めてアナログな情報手段(ラジオなど)の重要さを痛感しました。
日本の災害と重なった記憶
この停電体験は、私にとってただの「不便な出来事」ではありませんでした。
イスラエルで感じた戦争時の緊張感、そして日本で経験した地震など、
「いつもの生活」がどれだけ脆く、そしてどれだけ尊いものかを思い出させてくれました。
混乱の中でも人々が暴動に走らず、助け合う様子は、ポルトガル社会の成熟度の高さを感じる素敵な体験でもありました。
おわりに:日常は奇跡の連続
たった数時間の停電でも、私たちがどれだけ電気や水、情報に依存して生きているかを思い知らされました。
それと同時に、人と人とのつながりの温かさ、街を覆う穏やかな強さも肌で感じることができました。
これからも、異国でのリアルな日常の中で気づいたことを、皆さんと共有していきたいと思っています。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
アイでした($・・)/~~~
4月25日、ポルトガルを彩る「カーネーション革命」の記憶

こんにちは、アイです🫐
皆さんは、ポルトガルの独裁政権が終了した経緯をご存じでしょうか?
私は現地に来て初めてこの出来事を知り、とても素敵だなと感じたので、ここで紹介したいと思います。
この日は国家的な祝日で、小学生の妹の学校もお休みになっていました。
前もって「パレードやパーティーがあるよ」と聞いていたので、家族と一緒に街の雰囲気を感じに出かけてきました。
その時、街のあちこちで赤いカーネーションが中心的に扱われているのを見かけて、
「そういえば日本でも赤いカーネーションって特別な意味があるよな」と思い出しました。
母の日に感謝の気持ちを伝える日本のカーネーションと、ポルトガルで自由や平和を象徴するカーネーション。
意味は違っても、大切なものを心から守りたいという思いが込められているのが素敵だなと感じました。
では、ここから「カーネーション革命」について、簡単に紹介していきたいと思います。

カーネーション革命とは?
1974年4月25日、ポルトガルで「カーネーション革命(Revolução dos Cravos)」が起こりました。
当時のポルトガルは、アントニオ・サラザール(António de Oliveira Salazar)による長期独裁体制を経て、
後継者マルセロ・カエターノ(Marcelo Caetano)の下でも抑圧的な政権が続いていました。
社会不満が高まる中、民主化を求める若手軍人たち(MFA=軍事蜂起運動)が中心となり、
秘密裏にクーデターの準備を進めます。
そして4月25日未明、ラジオで流れた二つの楽曲――
まずは「E Depois do Adeus」(さよならの後で)、
続いて「Grândola, Vila Morena」(グランドラ、もり深き村)――が、
蜂起開始の合図となりました。
市民たちは銃を手に取る代わりに、赤いカーネーションの花を兵士たちに手渡し、
戦車の銃口や兵士の帽子に挿しました。
このため、流血はほとんど起こらず、世界的にも珍しい「平和的な革命」として語り継がれています。
この革命によって、ポルトガルは約50年続いた独裁体制に終止符を打ち、
新たな民主主義への道を歩み始めたのです。
今回、パレードは時間が間に合わず、参加できなかったのがとても悔しいです。
来年こそ絶対にリベンジしようと心に決めました!
また、夜のパーティーにも誘われたのですが、少し大人な雰囲気があり、今回は遠慮させてもらいました。
街を歩いていて感じたのは、ポルトガルの人たちが本当に自然体で、自由にこの記念日を楽しんでいるということ。
女性たちは赤いカーネーションを髪に飾ったり、イヤリングに通したり、バッグに差したり。
手に一輪のカーネーションを持っている人もたくさん見かけました。
中には、自作のカーネーション型プラカードを電車の中で持っている方も!
印象的だったのは、ほとんどが生花だったこと。
作り物ではない、生きたカーネーションの自然な美しさに、命や希望を感じました。
また、カーネーションを持たない人も、赤や濃いオレンジ色の服を身にまとっていたりして、
街全体が「自由と平和の色」に染まっているようでした。
建物も美しく飾り付けられていて、本当に心が温かくなる光景でした。

ポルトガルに来たからこそ知ることができたカーネーション革命。
こんなに平和的な革命があるのだと、
イスラエルから来た私だからこそ、今の世界情勢と重ねて強く胸に響きました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう! アイでした($・・)/~~~