戦争当事国の目線で考える ヒグチアイ 「悪魔の子」

しゃろむ! アイです🫐

今回は最近繰り返し聞いているヒグチアイさんの「悪魔の子」。進撃の巨人 The Final Season Part 2のエンディングテーマ。この曲の歌詞がどうしても現在の戦争と私の中で紐付いてしまって…

今回は戦争当事国に住んでいるものの目線で「悪魔の子」の歌詞を見ていきたいと思います。

 

作詞:ヒグチアイ
作曲:ヒグチアイ

鉄の弾が 正義の証明

現在のイスラエルでは、戦争が正義。攻撃するレバスるほど正しいといった空気感なところがあります。 
貫けば 英雄に近づいた

如何に多くのテロリストに危害を加えるか。こう言った会話が日常です。
その目を閉じて 触れてみれば
同じ形 同じ体温の悪魔

本当に全てのテロリストが本当にテロリストなのでしょうか?一般のパレスチナ人は?テロリストも人間…けど事実そう思えないことも多々あります。同じ体温の悪魔。このテロリストはこれなのかもしれない。

僕はダメで あいつはいいの?

これは両国の目線が同時に考えられてしまってきつい部分。イスラエル人から見れば、なぜテロリストが世界の支援を受けているのか理解できません。僕の攻撃はだめであいつのはいいの?

けれどパレスチナ人の目線はすべて逆になります。建国当初から。僕は自分の土地に住めないのにイスラエル人のあいつはいいの?

そこに壁があっただけなのに

イスラエルガザ地区の間には大きな壁があります。これらが、ガザ地区が天井のない監獄と呼ばれる所以でもあります。

生まれてしまった 運命嘆くな
僕らはみんな 自由なんだから

本当にそうなのでしょうか?そう思った結果10月7日の攻撃だったのかな。イスラエルはみんな自由なんてとても思えません。同じ国内でも思えない人が多い気がしてしまう

鳥のように 羽があれば
どこへだって行けるけど
帰る場所が なければ
きっとどこへも行けない

パレスチナ人の多くは、イスラエルの土地が家です。追い出された家はもう違うユダヤ人が購入して住んでいた李リフォームしているけど、元の家の鍵を代々ネックレスにして家宝にしている話は無限に存在します。

けれど、イスラエル人の多くはイスラエル外からユダヤの民として追い出されイスラエル以外に変える場所なんてありません。その最たる例がホロコーストだったりします。イスラエル人の中には常にこの民族的な記憶があるのです。

ハマスも現イスラエル政権も過激化してしまった今共存なんて未来はあるのでしょうか?

ただただ生きるのは嫌だ

これが、10月7日のきっかけなのでしょうか?

世界は残酷だ それでも君を愛すよ

このような関係性が続いても両サイド同じ人間として愛すことはできますか? 

なにを犠牲にしても それでも君を守るよ

どんなに兵が犠牲になっても、人によってはガザ地区に拉致されている人質たちを否定してまでもイスラエルを守ろうとしています。

間違いだとしても 疑ったりしない
正しさとは 自分のこと 強く信じることだ

戦争では、自分自身の行いを疑い始めたら揺らぎ始めるときだと感じます。疑いがあればここまで長引いていないしもしかしたら戦争なんて始まらずに済んだのかもしれない。こんな考えをしている時点で私がおかしいのかもしれません。自分自身を強く信じることが自分の行いを正しさと表現できる唯一の方法といってはいいのではないでしょうか。

鉄の雨が 降り散る情景
テレビの中 映画に見えたんだ

毎日テレビで報道されている戦争の現状。荒れ果てた建物爆撃の後、悲惨な姿をした人々たち、戦死してゆく軍人たちどれも妙に現実味がなくて、自分に関係ないみたいでどこか悪い映画を見ているかのよう。

戦争なんて 愚かな凶暴

こんなこと誰もがわかっているはずなのに

関係ない 知らない国の話

当時粉に住んでいてもどこかレバノン付近の北部の話だ、ガザ地区周辺の南部の話だどれもそこがまるで別の国のよう

それならなんで あいつ憎んで
黒い気持ち 隠しきれない理由

ここまで、自分を当事者と思えないのにどこかでハマスへの憎しみみたいなのはどうしてもあって。しかしイスラエルが当然の行いの身をしているとも思えなくて私の中の黒い気持ちがずっと渦巻いているかのようです。


説明だって できやしないんだ

諸外国に説明がうまく行われていないから世界各国で反イスラエルのデモが起こっているなどよく聞く意見ですが、戦争の説明なんて誰ができるのですか?本当に正当な理由の戦争なんてあるのでしょうか?人を殺す行為に説明なんて付けられるのでしょうか?


僕らはなんて 矛盾ばっかなんだ

危機を招いているのに人道支援をしたり、人質解放を最大目標のにしているのに解放のための交渉は阻止したり。

自分でもハマスを憎みながらイスラエルの行いを知ってからはハマスの思考にも共感してしまったり理解ができてしまったり。でもそんな自分にもまたぞっとして嫌悪を抱いてしまったり。矛盾といった言葉では表しきれないです。

この言葉も 訳されれば
本当の意味は伝わらない

どんなに状況を説明しようとしても、国の考え方雰囲気、空気感を伝えようとしても言葉を含む文化が違ったとたん。同じ空気を同じ国ですっていないなら本当の意味は伝わらないと思います。そんな中でも書いてるこのブログはきっと私にとってのただの気休めなのでしょう。それでもいいのかもしれません。


信じるのは その目を開いて
触れた世界だけ

結局信じられるのは、これですよね。これ以上は自分の範疇を超えていて何がなんなのか疑問ばかりが浮かんできます。

ただただ生きるのは嫌だ

なんで私は生きているんだろう深く考えるきっかけが定期的に訪れます。

世界は残酷だ それでも君を愛すよ
なにを犠牲にしても それでも君を守るよ
選んだ人の影 捨てたものの屍
気づいたんだ 自分の中 育つのは悪魔の子
正義の裏 犠牲の中 心には悪魔の子

戦争を正当化しそうになってしまっている自分。自分の国を悪者に思想になってしまっている自分。戦争は人が死ぬものとして通常のものとしてとらえそうになってしまう自分。人質が家に帰れないのが日常になりかけている自分。戦争の兵器として性を含めそうになってしまう自分。他の兵が死んでまでも自分の家族や近しい人が被害を受けないように祈ってしまう自分。半年以上もこの異常な事態が続いている。私の中には着々と悪魔の子が育っているようです。

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第二次世界大戦ユダヤ教のゲット―も取り入れていることで有名な進撃の巨人のエンディングテーマ、なんとも皮肉ですよね。

最近ずっと関連付けて考えてしまっていた歌詞と戦争の関係性を当事国に住んでいる身として吐き出させていただきました。

ただただ、漫画、アニメ作品としても最高ですし。曲も最高なので今後もシンプルに楽しみたいですね。

ここまで読んでくださりありがとうございましたアイでした($・・)/~~~